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母の命日に思う [日記]

今日は、亡くなった母の命日です。

東日本大震災があった年の秋に亡くなったので、丸3年になります。

享年73歳でした。

昨今の女性の平均寿命からすると、だいぶ短いですね。

死因は乳がんでした。

これが、肺、肝臓、最後は脳にまで転移してしまったのです。

私には、既に嫁いだ姉と妹がいますが、長男ということで、喪主を務めました。

ちなみに、父は11年前に亡くなっています。

この時も、喪主を務めました。

母の死は、もちろん悲しいものでした。

しかし、私は喪主ということもあり、その後の葬儀、法要、新盆、納骨、等で忙しく、姉や妹ほど悲しみに浸っている余裕はありませんでした。

また、私は実家とは別に住居を購入していたので、空き家となった実家の管理、売却、その他の遺産相続と、何かと煩雑だったこともあります。

しかし、今年は、実家の売却を含めた遺産相続の全てが完了したし、3回忌法要も去年に済ませているので、静かに命日を迎えています。

改めて母を思い出してみると、そこそこの良妻賢母だったと思います。

母は料理上手な上、和裁洋裁が得意でした。

私が幼稚園や小学校の頃は、お手製の洋服、手提げバック、など作ってもらっていました。

そのデザインも良く、友達に羨ましがられた記憶があります。

また、私を含めた子供たちも、今では全員結婚し、一応はまともな社会人となっていますので、教育も大きく間違ってはいなかったと思います。

ただ、父母の夫婦の力関係は明からに母>父でした。

このため、父を上手くコントロールしていた点で良妻ということにしておきましょう(笑)

ところで、父母亡き今、実家関係の冠婚葬祭については、長男ということで私が対応しています。

そこで、改めて気付いた点があります。

それは、母が言っていたほどに、父の実家関係の親戚は酷くなく、母の弟、つまり、叔父さんの“後妻さん”も実はいい人だったと言うことです。

幼少の頃から、それとなく悪い話を聞かされていたので、これらの親戚には苦手意識がありました。

でも、今のように主体的に付き合ってみると、そんなことはありませんでした。

むしろ、母の妹の一人、つまり、叔母さんの方が曲者でしたw

この叔母さん、良く母に同調して”色々な事”を話していました。

母もやっぱり、世間でいうところの小姑根性があったのかもしれません。

幼少の頃の刷り込みは、結構怖いですねw

でも、母の悪い点はこの程度であり、他の良い点の方が大きく上まわっていると思います。

私にとっては、良い母だったと思っています。

ただ、私の妻の母に対する評価は、正直判りません。

まあ、そこは藪蛇になりそうなので、あえて突っ込まないこととしています。

では、また。


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